誰かがいてくれるから、
私は私になれる。
先日は父の日でしたね。
Facebookを見ていたら、8年前にアップした記事が上がってきました。
父の日に、娘が息子と一緒に作っていたプレゼントのことでした。
まだ小学校の低学年だった娘が、字を書くことが苦手な息子に鉛筆を握らせて、一緒になって何か作っています。
『肩たたき券』
子どもの頃、誰もが一度は書いたことがありませんか?
例外に漏れず、娘も作っていました。
ただ、それだけに留まらず――。
ふたりが一生懸命作ったチケット
- 『かたもみけん むりょう1分』
- 『こちょこちょけん パパをこちょこちょ むりょう30びょう』
- 『土日わたしといっしょにあそぶけん むりょう1日』
- 『ママをやさしくするけん』
ママに?
ママが?
私が優しくないのか、私に優しくしてほしいのかよくわかりませんが、「優しくなろう」と思った瞬間でありました。
子どもの成長はあっという間ですね。
覚えているようで覚えてないホッコリした思い出や、覚えてないようで覚えているやってしまった思い出……。
いろんなことがある度に、子どもによって『親』にさせてもらってるんだなと実感します。
そして、
『母』、『理事』、『妻』、『医療的ケアの子どもを持つ親』、『経営者』、『姉』……。
私だけでなく、誰しもその時々でいろんな役割を与えられます。
その役割は相手がいるから大体与えられているもので、自分1人では何者にもなれないと思うと、どんな『役』も、誰かがいてくれているから成り立つ。
だから、それは「1人じゃない」ってことなんだなと。
それに気がつくと、なんだかすごくありがたいなと思えるのです。

